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東京地方裁判所 昭和53年(ワ)3942号 判決

原告 中島定美

〈ほか一名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 口野昌三

同 佐藤孝一

被告 国

右代表者法務大臣 倉石忠雄

右被告指定代理人 布村重成

〈ほか七名〉

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告中島定美及び同中島キンに対し、それぞれ金一二六〇万一四〇六円及び内金一一六〇万一四〇六円に対する昭和四三年五月四日から、内金一〇〇万円に対する昭和五三年五月五日から各支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決及び担保を条件とする仮執行免脱の宣言

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの身分関係

原告らは、後記事故(以下「本件事故」という。)により死亡した訴外亡中島志郎(以下「亡志郎」という。)の実父母であって、亡志郎の相続人であり、他にその相続人は存在しない。

2  亡志郎の経歴

亡志郎は、昭和一九年一一月一五日に出生し、中学校卒業後、同四〇年一一月二九日に陸上自衛隊に入隊したが、新隊員教育終了後は、同四一年五月三〇日に第一八普通科連隊第三中隊(札幌所在)に配属されて小銃手として勤務していたところ、本件事故により死亡した。

3  事故の発生

(一) 亡志郎は、昭和四三年四月二九日、北海道札幌市豊平区西岡所在の陸上自衛隊真駒内第三基本射場(以下「本件射場」という。)において、連隊命令に基づいて、中隊長兼射場指揮官中田桂一郎三等陸佐(以下「中田三佐」という。)以下九〇名とともに、射撃訓練に参加した。

(二) 亡志郎は、自己の射撃訓練終了後、本件射場内にある監的壕(標的施設の下にあって、標的に命中した弾痕標示、採点、標的操作等をするために掘られたコンクリート張りの壕で、その深さは、標的を固定するための支柱を固定しているコンクリート壁側は二・九メートル、反対側のコンクリート台側は二・五メートルある。以下「本件監的壕」という。)内で監的長藤田清治一等陸曹(以下「藤田一曹」という。)指揮の下に第三標的の採点係として勤務していたが、同日午前一〇時二五分ころ射撃訓練が終了し、監的壕の撤収作業が開始された。そこで右作業を実施していた亡志郎は、藤田一曹から、本件監的壕東方斜面稜線上に射撃訓練中掲揚していた警戒旗の撤収を命ぜられ、右命に従い、本件監的壕北側出口から外に出て撤収に向かった。

(三) そして、同日午前一〇時三〇分ころ、亡志郎は、右警戒旗を撤収した後、雨の中を警戒旗を持ち、本件監的壕の北側に在る資材倉庫の附近に至る途中、本件監的壕東側(山側)の幅約一・五メートルの盛土部分(以下「本件盛土部分」という。)を通行したが、その通行中に、粘土質のため雨で滑りやすくなった本件盛土部分の土に足をとられ、滑って本件監的壕内に転落した。

(四) 右転落により亡志郎は、頭蓋骨々折の傷害を負い、直ちに入院の上治療を受けていたが、同年五月三日午後三時五分ころ、右傷害による広範脳挫傷のため死亡した。

4  責任原因

(一) 被告は、公務を遂行する公務員に対し、その公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置、管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべきいわゆる安全配慮義務を負っており、したがって、亡志郎の使用者として、亡志郎の指揮官らをして、亡志郎が本件盛土部分から滑落する如き事故の発生するおそれがないよう、安全に配慮させるべきであった。

(二) しかるに、被告は、次のとおり右の安全配慮義務に違反したものである。

(1) 本件射場には、三〇〇メートル、二〇〇メートル、一〇〇メートルの各射座が設けられ、右三〇〇メートル射座から東方へ三〇〇メートルの地点には、北から南へ第一的から第三〇的の標的を固定する木製支柱の標的施設が、また、この標的の下の射座側に本件監的壕がそれぞれ設置されていた。そして、亡志郎は、本件監的壕の北側の出入口から壕外へ出て、壕の背後(東側・山側)にまわり、本件盛土部分を壕に沿って南に向かって進行し、第一三標的の背後付近より射朶部分を警戒旗に向かって登り、警戒旗を撤収後、同様の経路をとって引き返し、射朶部分を第一三標的の背後付近に向かって下った後、本件事故に遭った。

(2) ところで、本件射場で射撃訓練を行う場合、警戒旗を掲揚・撤収する箇所へ至る経路としては、本件監的壕北側にある資材倉庫から真直ぐ斜めに登って行く通路(以下「北側経路」という。)を使用する方法があったが、本件事故当時右の通路は一・五ないし二メートルの高さの熊笹に覆われていたため、右通路を通行することは不可能であり、前述のとおり、亡志郎のとった射朶部分中央よりやや南側付近の灌木林の中を通る(以下この経路を「本件経路」という。)方法が唯一のものであった。

(3) また、本件事故当時、本件盛土部分は、標的柱の修理や標的板の設置・撤収等の作業床となり、さらに資材倉庫から標的板等を運搬するための通路となっていた。

(4) しかも、右射朶部分及び本件盛土部分の土質は、粘土質であるうえ、事故当日は、雨で泥濘化していたため、極めて滑り易い状態となっていた。

(5) 以上のような状況下にあった場合、被告としては、本件事故と同様の滑落事故の発生することを十分に認識し得たはずであるから、本件射場の所有者たる被告の実務執行者であり、本件射場の管理者たる真駒内駐屯地業務部隊長(以下単に「管理者」という。)としては、(イ)北側経路の熊笹を苅り取る等して、本件経路以外の安全な通路を開設して転落事故を招来しないようにするとともに、(ロ)少なくとも、隊員が本件盛土部分を通行する場合あるいはそこで作業をする場合には、本件の如き本件監的壕への滑落を防止すべく、本件監的壕の後方(監的柱周辺)に転落防止用の適当な設備を施し、(ハ)あるいは、本件類似の転落事故の発生の最も予想される雨天の日には、最少限度の義務として、本件経路の通行を禁止する処置をとるべきであったのである。

しかるに、被告は、右の各義務を怠ったものであり、これがため亡志郎は本件事故により死亡したのであるから、被告には、亡志郎に対する安全配慮義務の不履行があったというべきである。

(6) もし仮に被告主張のように、亡志郎が本件監的壕を飛び越えようとして本件事故が発生したものであるとしても、前記(4)のような状況の下に、靴底に泥濘を付着させて斜面を下りて来た者が壕を飛び越える場合に、壕内に滑落する危険性の大きいことは、被告において容易に認識し得たはずであるから、管理者ひいては被告としては、本件監的壕の上を安全に渡ることができるような設備を施す義務があったのであり、右義務を怠った被告には、安全配慮義務の不履行があったというべきである。

以上のように、本件事故は、被告の安全配慮義務不履行によって発生したものであるから、被告は原告らの被った後記損害を賠償すべき義務がある。

5  原告らの被った損害

(一) 亡志郎の逸失利益 金一八一九万三〇二二円

(1) 亡志郎は、昭和四〇年一一月二九日陸上自衛隊に入隊し、本件事故に遭わなければ、昭和四四年一一月二九日に除隊する見込みであったのであるから、死亡した日を経過した翌月の昭和四三年六月から右除隊に至るまでの間に、別表一記載のとおりの俸給及び退職手当を得たはずである。

(2) 次いで亡志郎は、右除隊後満六七歳に至るまで、民間企業に就職して別表二記載のとおりの収入を得ることができたはずである(右収入は、昭和四四年、同四五年は、総理府統計局編第二三回日本統計年鑑産業別企業規模及び年齢階級別給与額男子全労働者欄給与額、昭和四六年ないし同五一年までは各年度の、昭和五二年以降は同年度の各賃金センサス男子労働者新中卒年齢別平均給与額によった。)。

(3) そして、右収入から亡志郎の生活費として各年度の収入の五〇パーセントを控除したうえ、各年度毎にライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して亡志郎の逸失利益の死亡時の現価を求めると、別表一、二のとおり合計金一八一九万三〇二二円となる。

(二) 亡志郎の慰藉料 金六〇〇万円

亡志郎は、事故当時二三歳の男子であり、本件事故により一命を失ったことによって多大な精神的苦痛を受けたものであるところ、これに対する慰藉料は金六〇〇万円が相当である。

(三) 相続

原告らは、亡志郎の相続人として、(一)、(二)の合計額の各二分の一である各金一二〇九万六五一一円の損害賠償請求権を相続により取得した。

(四) 損害の填補 金九九万〇二一〇円

原告らは、被告から遺族補償金として金九三万円、退官退職手当として金六万〇二一〇円、合計金九九万〇二一〇円の支払いを受け、前記相続分に応じ各金四九万五一〇五円を前記各損害に充当した。

(五) 弁護士費用 金二〇〇万円

原告らは、本訴の提起、追行を原告ら訴訟代理人らに依頼し、相当額の報酬の支払を約したが、本訴において原告らの支出する弁護士費用は、被告の亡志郎に対する安全配慮義務不履行と相当因果関係にたつ損害というべきで、その額は、各原告につき金一〇〇万円、合計金二〇〇万円が相当である。

(六) 附帯請求の始期について

債務不履行による損害であっても、少なくとも本件のように安全配慮義務不履行による人的損害については、その賠償債務の履行期に関し、不法行為による損害と実質上区別する理由がないから、逸失利益、慰藉料の相続による損害に対しても、本件事故発生の翌日以降の遅延損害金の支払いを請求し得るものというべきである。

6  結論

よって、原告らは、被告に対し、被告の債務不履行に基づき、右損害各金一二六〇万一四〇六円及び内金一一六〇万一四〇六円に対する本件事故により亡志郎の死亡した日の翌日である昭和四三年五月四日から、内金一〇〇万円に対する本件訴状送達の日の翌日である昭和五三年五月五日から、各支払いずみまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する答弁及び被告の主張

1  請求原因1、2の各事実は認める。

2  同3のうち、(一)、(二)の各事実は認める。

3  同3、(三)のうち、亡志郎が本件盛土部分を通行中に、粘土質のため雨で滑りやすくなった本件盛土部分の土に足をとられて滑ったとの点は否認する。その余の事実は認める。

亡志郎は、斜面部分を真っすぐに下ってきて、第一三標的を固定するための支柱の間から本件監的壕を飛び越えようとして、誤って本件監的壕内に転落したものである。したがって、本件事故は、亡志郎の自損行為というべきものである。

4  同3、(四)の事実は認める。

5  同4、(一)のうち、被告が原告ら主張のような一般的な安全配慮義務を負っていることは認めるが、本件において原告ら主張のような具体的義務を負っていることは争う。

6  同4、(二)の冒頭の主張は争い、(1)の事実は認める。

7  同4、(二)の(2)の事実のうち、原告ら主張の北側経路のあったこと及びそこが本件事故当時熊笹に覆われていたことは認め、その余は否認する。

北側経路は、熊笹等があるため歩きにくいという程度のものであって、歩行・通行が困難という状態ではなかったから、本件経路が唯一のものであったということはできない。

8  同4、(二)の(3)は否認する。

本件盛土部分は、その東側の約四メートル幅の一段高くなった平坦地をも含めて、射撃した弾丸が射朶の内斜面に着弾した際、岩石等に当たって跳弾となり、本件監的壕内に勤務する者等に対し危害を与えることを防止するため、及び着弾等による射朶の内斜面の土が崩れて本件監的壕に流入することを防止する土留めのための緩衝地帯として設置されているものである。

また、標的柱の取替え等は、本件射場が設置されてから昭和五二年に改造がなされるまでは行われたことがなく、ただ標的を上下に動かすためのケーブルが弾丸により切断、損傷したためにケーブルの取替え作業があっただけであるが、右の補修も担当の部隊が本件監的壕内で実施していたものである。さらに、標的の運搬についても、本件監的壕北側の資材倉庫から標的を運び出し、壕北側にある入口の階段から壕内に入り、壕内を通って運搬していたのであって、標的の標的柱への設置あるいは標的柱からの撤収作業等も壕内で行っていたのであるから、本件盛土部分が通路、作業場として使用されていたことはない。

9  同4、(二)の(4)の事実は認める。

10  同4、(二)の(5)及び(6)の各義務違反の主張についてはすべて否認する。

(一) 本件においては、藤田一曹ら上司から警戒旗の撤収後の帰路について、特に指示等がなされていなかったが、撤収後の帰路において、途中に生命・身体に特に危険を及ぼす場所を通らなければならないのであれば格別、そのような地形的状況にない本件射場にあっては、どのような経路を通るか、その帰路の選択は当該隊員が自らの責任と判断によりこれをなせば足りたのであって、管理者が具体的にその指示をする義務はなく、まして原告ら主張のような通行禁止等の措置をとるべき義務はない。

(二) 前述のとおり、警戒旗が掲揚されていた稜線に至る北側経路は単に歩きにくいという状態にあったにすぎないものであり、本件盛土部分も相当の幅があって優に人が通行することもでき、他に特段危険な箇所もなかったのであるから、他の経路を開設しておくべき義務もなかったことは明らかである。

(三) 本件事故は、射撃訓練場内でおこったものであり、その場所は、自衛隊員の一般通行用の通路として設置されたところでないことは明らかである。仮に、本件盛土部分を通行の用に供していたとしても、本件事故の発生した場所は、本件監的壕内への転落事故の発生を考え得ない場所であるばかりでなく、本件監的壕の支柱側のコンクリート縁から反対側のコンクリート台の縁までの空間は、約一・二メートルの幅にすぎず、優に飛び越えることができる距離であるから、このようなところにまで、原告ら主張のような転落防止用の、あるいは渡壕用の設備等を設置しなければならないというものではなく、そもそも本件監的壕にかかる設備を設けたのでは、射撃訓練場における監的壕としての機能を全く喪失させることとなる。

11  同5、(一)のうち、亡志郎の入隊年月日は認め、除隊見込年月日及び余稼働年数は不知、その余は争う。

12  同5、(二)の主張は争い、同5、(三)の事実中、原告らが亡志郎の相続人であることは認めるが、その余は知らない。

13  同5、(四)の事実中、原告らが被告から原告ら主張の金員の支払を受けたことは認める。

14  同5、(五)の主張は争う。

我が国においては、弁護士強制主義がとられていないから、弁護士費用が、原告ら主張の債務不履行によって通常生ずべき損害であるということはできない。

15  同5、(六)の主張は否認する。

債務不履行による損害賠償の請求にあっては、債務者は債権者の履行の催告によって遅滞に陥るのであるから、本件においては、遅延損害金の起算は、被告に対する訴状送達の時からである。

第三証拠《省略》

理由

一  被告が、一般的に、公務を遂行する公務員に対し、その公務遂行のために設置すべき場所、施設もしくは器具等の設置、管理又は公務員が国もしくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たって、公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき、いわゆる安全配慮義務を負っていることは、被告の争わないところである。

1  原告らが亡志郎の実父母で、かつ、亡志郎の相続人であり、他にその相続人が存在しないこと、亡志郎は昭和一九年一一月一五日に出生し、昭和四〇年一一月二九日に陸上自衛隊に入隊したが、新隊員教育終了後、同四一年五月三〇日に第一八普通科連隊第三中隊(札幌所在)に配属され、小銃手として勤務していたところ、昭和四三年四月二九日、連隊命令に基づき、中隊長兼射場指揮官中田三佐以下九〇名とともに、北海道札幌市豊平区西岡所在の本件射場における射撃訓練に参加したこと、右訓練が終了した後、本件監的壕からの撤収作業が開始されたが、その作業を実施していた亡志郎は、監的長藤田一曹から本件監的壕東方斜面稜線上に射撃訓練中掲揚していた警戒旗の撤収を命ぜられてその撤収に向かったこと、同日午前一〇時三〇分ころ、亡志郎は、右警戒旗を撤収した後、雨の中を警戒旗を持ち、本件監的壕の北側に在る資材倉庫の附近に至る途中本件盛土部分を通行して本件監的壕内へ転落し、頭蓋骨々折の傷害を負い、右傷害による広範脳挫傷のため同年五月三日午後三時五分ころ死亡したこと、本件射場には、三〇〇メートル、二〇〇メートル、一〇〇メートルの各射座が設けられ、右三〇〇メートルの射座から東方へ三〇〇メートルの地点には標的を固定する木製支柱の標的施設が、また、この標的の下の射座側には本件監的壕がそれぞれ設置されていたこと、本件監的壕は、標的に命中した弾痕標示、採点、標的操作等をするために掘られたコンクリート張りの壕であり、標的を固定するための支柱を固定しているコンクリート壁(以下「東壁」という。)の側で測ったその深さが二・九メートル、その反対側のコンクリート台の下の壁(以下「西壁」という。)側で測ったその深さが二・五メートルであることはいずれも当事者間に争いがない。

2  (本件監的壕上部の構造)

《証拠省略》を総合すれば、本件監的壕は南北に設置され、その全長は六〇ないし七〇メートルであり、その北端に壕への出入口があること、本件監的壕の東・西の各壁の厚さはいずれも上端において約二〇センチメートルであり、西壁側の上部には、壕内に在る者を降雨や跳弾あるいは弾丸の破片等から保護するための約一・三メートル幅のコンクリート台があるが、右コンクリート台の東側縁から東壁までの間は約一・一メートル幅の空間となっていること、西壁側コンクリート台の上面は、東壁の上縁から約四〇センチメートル低く位置する構造となっていること、東壁側にある標的を固定するための支柱(木製)は、二本をもって一個の標的を固定する仕組みとなっており、この二本の支柱の間隔は約二・五メートルであること、一個の標的を固定するための二本の支柱のうちの一本と、当該標的に隣接する次の標的を固定するための直近の一本の支柱との間隔は、約三〇センチメートルあり、この約三〇センチメートルの間において東壁と西壁コンクリート台とが、一辺の長さ約三〇センチメートル四方の面を有する長さ約一・一メートルのコンクリート直方体をもって連結されていること、本件監的壕の構造を略図で示せば、別紙略図(一)及び(二)〈判決末尾参照〉のとおりであることが認められる。右認定を左右すべき証拠はない。

3  (本件監的壕付近の地形及び状況)

《証拠省略》を総合すると、本件監的壕の東方には射朶及び丘陵地帯が続き、その稜線上に警戒旗を掲揚する設備があること、右丘陵地帯は急斜面となっているが、第一三標的東方の斜面は平均二六度から三三度程度の勾配となっており、本件事故当時は、右斜面の西方に面した部分には樹木はなく、北方に面した部分には熊笹が茂り、南方に面した部分には灌木の林があったこと、本件監的壕東側の本件盛土部分は、前記東壁の東側に僅かばかりの平らな地面を介して約一・五メートルの幅をもって南北に走り、中央部分が高く、西へ向って緩傾斜となる形で盛土がなされており、粘土質の土壌であるが、本件射場を使用する第一八普通科連隊第三中隊所属の自衛隊員(以下単に「自衛隊員」という。)は、誰もが、本件盛土部分が粘土質でできていて雨天又は雨後には極めて滑り易い状況となることを知っていたこと、さらにこれと接してその東方には、約四メートルの幅で本件盛土部分より一段高くなった平坦地が続き、更にその東方が前記射朶及び丘陵地帯の斜面となる地形であるが、その附近の土質も粘土質であったこと、本件盛土部分から右の平坦地にかかる位置にはU字溝が設置されて右の斜面から流下する雨水や土砂の本件監的壕内への流入を防ぎ、さらに東壁のコンクリート上縁もこれに接する僅かばかりの平らな地面よりやや高く位置して右の防止に役立っていたが、本件事故当時においては、右のU字溝は土砂や雑草に覆われてしまっていたこと、本件監的壕の北方約五〇メートルの地点には標的施設等を保管するための木造平家建の資材倉庫が建っていることが認められる。右認定を左右すべき証拠はない。

4  (亡志郎の服装)

《証拠省略》によれば、亡志郎は本件事故当時、頭部には中帽の上に鉄製のヘルメットをかぶり、作業服上下を着用して弾帯を着け、足は戦闘長靴(かかと及び裏はゴム製)をはいていたことが認められる。右認定を左右すべき証拠はない。

5  (本件盛土部分の使用状況)

《証拠省略》を総合すれば、本件盛土部分は、被告主張のような緩衝地帯として設けられたものではあるが、時にはその附近において標的柱の修理や標的板の設置・撤収等の作業がなされたり、その附近が資材倉庫からの標的板運搬等のための通路として使用されることもあったけれども、これまで本件盛土部分附近を通りあるいは通るに際して本件監的壕内に滑落又は転落した事例はなかったことが認められる。右認定を左右すべき証拠はない。

6  (北側経路の状況)

ところで、稜線上の警戒旗を掲揚・撤収するに当たって、その設置箇所に至る経路としては、資材倉庫附近からの原告ら主張のような北側経路のあったこと及びこれが本件事故当時熊笹に覆われていたことは当事者間に争いがない。そして、《証拠省略》を総合すれば、北側経路は、右のように熊笹に覆われていたために、それが障害となってかなり歩きにくい状態となってはいたが、さりとて通行不能というような状況でもなかったことが認められる。《証拠判断省略》。したがって、原告ら主張のように、本件事故当時北側経路が通行不能で、警戒旗を掲揚・撤収する箇所へ至る経路としては、本件経路が唯一のものであったということはできず、本件全証拠によるも右の事実を認めるに足りない。

三1  そこで、亡志郎の本件監的壕内への転落原因につき、亡志郎が本件監的壕附近の本件盛土部分を通行中に、粘土質のため雨で滑りやすくなった本件盛土部分の土に足をとられ滑って転落したものか、あるいは亡志郎が斜面部分を真っすぐに下ってきて第一三標的を固定するための支柱の間から本件監的壕を飛び越えようとして、誤って転落したものか等につき争いがあるのでこの点につき考える。

《証拠省略》を総合すると、本件事故発生の直前ころ、本件射撃訓練に参加していた陸士長吉田孝一、二等陸士石井隆夫らが、本件監的壕北側出口から地上に出て、資材倉庫前附近の地点で、警戒旗の撤収に赴いた亡志郎の行動の一部をみたところによると、本件監的壕東側やや南寄りの位置からほぼ真っすぐ上に向って昇り、本件監的壕東方の稜線上(標的から約二六五メートル東方にある。)にあった警戒旗を撤収した亡志郎は、その後第一三標的東方約三〇メートルの弾着地域附近の勾配平均約二六度から三三度程度の斜面をやや斜めづたいながらほぼ真っすぐに走るようにして下り、同標的の位置する本件監的壕のところまできたが、同標的を固定する支柱の蔭になって姿が見えなくなったところ、その直後にガラという金属音がし、それと同時にドスンという音もしたこと、右石井隆夫が直ちに本件監的壕内に馳けつけたところ、亡志郎は右壕内に転落しており、頭部を本件監的壕北側出口に向け、体の左側を下にして倒れていたこと、同標的の西にある本件監的壕西壁側上部コンクリート台上中央附近に亡志郎の鉄帽及び中帽が落ちており、そのそばに同人が撤収してきた旗竿(約二メートル)付きの警戒旗があったこと、同標的を固定するための支柱に接する本件監的壕東壁上コンクリート縁の東側僅かばかりの平らな地面には小さな水たまりがあったこと、右東壁上のコンクリート縁からその下方へ続く東壁面上にかけて同人の片足の靴底(ゴム製)がこすれて付いたと思われる直線状の痕跡が下方へ向いて縦に付いており、更にこの靴に付いていたと思われる泥土が右痕跡附近に附着していたこと、また、その前方の西壁側コンクリート台上の前記鉄帽等があった位置より壕内に近い位置には、雨水に土砂が流されてできた浅い土砂の堆積の上に、亡志郎が右の台上に両手を触れて壕の方へ少し引っ張ったような指跡のあったことが認められ、右認定を左右すべき証拠はない。

右認定の事実によれば、亡志郎は、単に監的壕の上部縁端を通行中滑落したものではなく、撤収に係る旗竿(約二メートル)付きの警戒旗を持って、右撤収の地点から西下方にある本件監的壕へ向かってやや斜めづたいながらほぼ真っすぐに、走るように馳け下り、右の警戒旗を持ち、帽のあご紐を解いた姿のまま、本件盛土部分を踏み越えて、標的を固定するための支柱の間から、監的壕を横切り渡越しようとするに際し、①粘土質のため雨で滑りやすくなった本件盛土部分の土を踏んだ一瞬足をとられ、大きく滑りそのまま片足のかかとから本件監的壕内へ滑落したか、②又は誤って本件監的壕の東壁上コンクリート縁を勢い余ったように踏み外し、片足のかかとからそのまま本件監的壕内へ転落したか、③あるいは右①のように一瞬足をとられ、軽く滑ったが、その際は滑落をまぬがれたものの身体の平衡を失って監的壕東壁上コンクリート縁を踏み外し、片足のかかとから本件監的壕内へ転落したかのいずれかあるいはそれらに極めて近い状況のもとに本件監的壕内へ転落したものと推認されるとともに、前記認定のとおり、東壁の厚さが上端において約二〇センチメートルあり、その上縁はこれに接する僅かばかりの平らな地面よりやや高く位置していたこと、本件監的壕東壁上コンクリート縁東側僅かばかりの平らな地面には小さな水たまりがあったこと、本件盛土部分の上に滑った痕跡があったことを窺うべき資料もないことを併わせ考えると右②、③又はそれらに近い状況であった可能性が特に強いものと推認できる。右推認を左右すべき資料はない。

2  続いて、原告らは、その主張するような、安全配慮義務の不履行が被告にあった旨を主張するので、以下右の点について判断する。

(一)  《証拠省略》のほか、前記認定に係る本件監的壕の構造、本件監的壕附近の地形及び状況、亡志郎の本件事故当時の服装、本件盛土部分の状況、北側経路の状態、亡志郎が本件監的壕内へ転落した際の状況及び亡志郎の自衛隊員としての勤続年数やその地位、年令等をも総合して考えると、そもそも本件経路といえども警戒旗設置箇所への正規の経路といったものではなく、単に登り下りがし易いということから、亡志郎を初め本件射場を使用する自衛隊員が射撃訓練に際して稜線上への往来にしばしば使用していたにすぎない経路であって、亡志郎もまた平素から、本件監的壕の構造、附近の地形及び本件盛土部分の土質や本件監的壕から稜線上までの地形及び土質の特徴等を熟知していたものと推認される(この推認を左右するに足る証拠はない。)一方、北側経路については、たとえ熊笹が生立していて歩行しにくい経路ではあったにもせよ、亡志郎の前記経歴・年令や服装等からすれば、同人は本件のような事故に遭う危険の全くない右の北側経路その他の経路を選んで通行することも十分可能であったものとみられ、他方このような経路の選択を妨げる程の特段の事情を首肯するに足る資料はない。したがって、亡志郎を含む右の自衛隊員において右の警戒旗の掲揚・撤収を命ぜられたときは、各自がその時々の状況のもとに、自己の責任と判断により、必ずしも北側経路や本件経路に限定されることなく、他にも適当な経路があればこれを選択して、右の命令を遂行しても何らさまたげはなかったものということができる。してみれば、本件射場の管理者・所有者において、北側経路や本件経路以外に、原告ら主張のような、安全な通路なるものを開設すべきであったとはいえず、結局亡志郎は、自己の任意の選択により、本件経路を通行したものといわなければならない。

(二)(1)  そこで次に、亡志郎の本件監的壕内への転落が、前記②のように、誤って本件監的壕東壁上のコンクリート縁を勢い余ったように踏み外し、片足のかかとからそのまま本件監的壕内へ転落したことによると仮定して考えてみるに、本件盛土部分の附近が、平素民間人の通行の用に供されあるいは本件射場を使用する自衛隊員一般によって日常の通路等としてたえず使用される状況にあったことを窺うべき資料は何もなく、本件監的壕の構造、附近の地形及び本件盛土部分の土質、本件監的壕から稜線上までの地形及び土質の特徴等を平素から熟知していたとみられる自衛隊員が時々その附近を通路あるいは作業の場として使用することがあったといえるにすぎず、また前記認定の本件監的壕の構造、附近の地形、本件盛土部分の土質、本件監的壕から稜線までの地形及びその附近の土質等からすれば、たとえ亡志郎のような若手、少壮の自衛隊員が、警戒旗の撤収に当たり、たまたま本件経路をとったとしても、右の構造、地形、土質等を熟知している以上旗竿(約二メートル)付きの警戒旗を持ち、帽のあご紐を解いた姿で漫然斜面を馳け下りてその勢いにのったまま本件盛土部分あるいは本件監的壕の縁まで至るのではなく、本件盛土部分より東側にある平坦地部分や本件盛土部分附近等で、歩行の速度を調整してこれを減じ、又は一たん立ち止まって自己の態勢をととのえるなど、右のような姿で斜面を下る場合に通常用うる僅かばかりの注意を自己の足元について払いさえすれば、本件監的壕を横に渡越することにもさしたる困難はなかったものと考えられるから一般的には、本件経路をとった右の自衛隊員が東壁上コンクリートの縁を勢い余ったように踏み外して本件監的壕内に転落する等の事故に遭うおそれがあったものとは考え難い。

(2) 次に、本件盛土部分の土質は粘土質の土であったうえ、本件事故当日は雨で泥濘化していたため、極めて滑り易い状態となっていたことについては、当事者間に争いがないので、前記①又は③のように、亡志郎が本件盛土部分を踏んで、程度の差はあれ、足をとられて滑ったものと仮定して考えてみるに、本件射場を使用する自衛隊員は、前記のとおり、本件監的壕の構造、附近の地形、本件盛土部分の土質や本件監的壕から稜線までの地形及び土質の特徴のほか、本件盛土部分が粘土質の土でできていて、雨天又は雨後には極めて滑り易い状況となることを、誰もが知っていたのであるから、もし、雨天又は雨後の時点には、本件盛土部分附近は本件監的壕内への滑落あるいは転落の危険性をはらむ状況となるとすれば、亡志郎もまた、そのことは十分知っていたものと推認される(この推認を左右すべき証拠はない。)ところ、亡志郎その他本件射場を使用する自衛隊員らが雨天又は雨後の時点においてもこれを通路に使用することを余儀なくされていたような事情を窺知すべき資料はないのである。そして、亡志郎は、本件事故当時二三才半ばの若手、少壮の自衛隊員であり、戦闘服装を着用していたのであって、特に本件盛土附近を通るよう命ぜられていたわけではないから、自己の責任と判断をもって右の危険をはらむ本件盛土部分附近の通行を避けることが十分可能な状況下にあったものということができるが、もしあえてこれを通ろうとするにおいては、自らが細心の注意を払わなければならなかったわけである。それにもかかわらず、亡志郎は、あえて右の通行を回避することなく、また前記認定に係る亡志郎の警戒旗撤収後の行動からみれば、同人は右の細心の注意を払うこともなく、漫然斜面を馳け下りて、その勢いのまま、本件盛土部分を踏み越えて本件監的壕を渡越しようとしたものとみるほかはないのであるが、このようなことは、一般的には、あり得ないところといわざるを得ない。

(3) そして、右(1)のとおり、本件射場を使用する自衛隊員が警戒旗の撤収に当たりたまたま本件経路をとったとしても、一般的には、本件監的壕東壁上のコンクリート縁を勢い余ったように踏み外して本件監的壕内に転落する事故に遭うおそれがあったものとは考え難いのに、そのようなおそれのあることを特に予想し、又は右(2)のとおり、一般的にはあり得ないところであるのにそのような場合のあることを特に予想し、かつ、このような場合に、本件射場を使用する若手、少壮の自衛隊員が滑落又は転落の事故に遭うおそれをもおもんぱかって、本件監的壕内への滑落又は転落の防止のため、原告ら主張のように、右の隊員に対して本件経路や本件盛土部分の通行禁止を命じたり、転落防止用の設備や安全な渡越設備等を設けるべき義務は、本件事故当時の本件射場の所有者管理者にはなかったものと解するのが相当である。

(4) したがって、被告には、本件事故に関して、原告ら主張に係る点についての安全配慮義務の不履行があったということはできず、他に被告において、本件事故に関し、安全配慮義務の不履行があったことをうかがうべき資料はない。

四  以上によれば、本件において、被告にはいわゆる安全配慮義務の不履行はなかったものというべく、被告に右の不履行があったことを前提とする原告の本訴請求は、いずれもその余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 仙田富士夫 裁判官 片桐春一 裁判官安間雅夫は、職務代行を解かれたため、署名押印することができない。裁判長裁判官 仙田富士夫)

〈以下省略〉

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